たくさんの女性研究者の先輩方が道を示してくれた

大型加速器による素粒子実験がしたいと進学した奈良女子大学では多くの修士課程・博士課程の女性がのびのびと研究に打ち込んでいたという岩崎先生。結婚・出産後も研究を続けてきたのは、たくさんのロールモデルが身近にいたからと振り返ります。ライフイベントに合わせて柔軟に研究の場や担当を変化させてきた先生。ご自身も男女共同参画に取り組み、子育て中も働きやすい環境の整備に尽力されてきました。

大阪市立大学 理学研究科
物理系専攻
岩崎昌子准教授 MASAKO IWASAKI

1968年生まれ。奈良女子大学卒業後、同大学大学院で博士(理学)を取得。米国スタンフォード線形加速器センター、オレゴン大学、東京大学、高エネルギー加速器研究機構(KEK)を経て、2016年より大阪市立大学へ着任。大学時代から加速器実験による素粒子物理学の研究に取り組む。現在は、KEKでの加速器実験(BelleⅡ)に参画しながら、大阪大学RCNPでの研究プロジェクト、加速器実験への深層学習の適用研究を進めている。

1,キャリア形成の道のり
女子大学で女性であることを意識せずに研究に打ち込んだ

私は高校生の頃、生物部に所属していました。そこで理系進路へ進まれた先輩たちの影響を受けて、科学に興味を持つようになりました。ちょうどその頃、茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)で、1986年当時の世界最高エネルギーでの電子・陽電子衝突型加速器実験、トリスタン実験が開始されたニュースをテレビや新聞で見て、「私もこの研究がしてみたい」と思いました。トリスタン実験に参加している奈良女子大学へ進学し、大学4回生の時に高エネルギー物理学研究室(加速器による素粒子物理学実験)へ入りました。当時の教授は男性の先生ですが、1940年から渡仏して国際的に活躍された日本人女性物理研究者である湯浅年子博士のもとで研究されていた一人で、「日本でも女性研究者を育てよう」という意欲の高い方でした。修士課程1年から博士課程3年まで全学年の先輩がそろっていて、のびのびと研究を楽しまれている姿を見て、私も研究者の道へ進もうと思いました。当時の先輩や後輩のうち、博士課程まで進んだ人のほとんどは今でも研究を続けています。結婚・出産を経て研究を行っている方も複数います。私は大学院の研究テーマとして、つくばのKEKで、トリスタン実験に携わりました。大型加速器実験は国内外のさまざまな大学・研究所からの研究者数百人、またはそれ以上による共同実験です。トリスタン実験にも、関西から大阪大学、大阪市立大学、奈良女子大学、神戸大学などが参加しました。研究者は皆研究所の宿泊施設に泊まり込み、朝・昼・夜と研究と生活をともにします。とても良いチームワークが培われ、人とのつながりが育まれました。

米国の研究機関で多様性の大切さを実感

1996年に学位を取得後、大学の研究生だった頃に結婚。夫がスタンフォード線形加速器センター(SLAC)の研究員として米国へ赴任することになり、私も夫について行きました。私もSLACでコンピューター関係のアルバイトができると聞いていたので、はじめはアルバイトでも、なんとかなるだろうと考えていました。ですが、研究所で実際に紹介されたのはシリコンバレーの企業でのアルバイト。事前にきちんと話をつけずにきてしまったことを後悔しました。なんとかSLACで研究ができないか、大学やKEKの方に相談したところ、KEKの協力研究員として無給で研究できることになりました。研究を始めて数か月後に、SLACで研究員(1年任期)として雇って頂きました。SLACでの加速器実験(SLD実験)に参加すると、国籍、性別、経歴、全てにおいて多種多様な人が集まり、それぞれの技能を活かした分業性が非常に発達していることに驚きました。また、多くの人が集まるので競争も起こり、より高い能力を持った人材の選択が自然に行われていました。向学心が強く、さまざまな知識の吸収に積極的な研究者が多く、その研究姿勢に大きな影響を受けました。

2,ライフイベントに直面した時
米国と日本での別居婚で出産を決意

SLACの任期終了後はオレゴン大学の博士研究員として5年半研究を行うことができましたが、私も夫も次のポジションを探さねばならない状況でした。それぞれに探して、私は日本、夫は米国での就職先が同じ日に決まりました。夫は米国で任期付きでしたので、次のポストは日本で探す、という約束のもと、私は帰国して2002年に東京大学で助手として着任しました。私はその時33才で「そろそろ子供がほしいけれど別居婚では諦めないといけないのかな」と思っていたのですが、同い年の女性研究者が「夫が米国にいても子供は産めるよ」と後押ししてくれて。彼女のご主人は米国の研究機関に勤めていたのですが、彼女は日本で研究を続けながら、子供を出産して子育てしていたのです。子供も研究も諦めなかった彼女から勇気をもらいました。その後、無事に妊娠することができ、夫も東京大学の研究員として帰国することができました。東京は待機児童の問題もあり、4月でないと職場復帰ができないという助言を頂いて、育児休暇を3月末日まで、ほぼ1年間取得しました。育休の半年目には自宅でぼつぼつと仕事を再開し、出産前に書いていた論文を、育休中に仕上げました。職場復帰後は夫が子供を保育園に送り届け、私がお迎えに行くというように分担しました。復帰前は加速器を用いたニュートリノ実験(T2K実験計画)に参加して、ビームモニターの開発をグループリーダーとして進めていましたが、復帰後は実験施設の建設が始まり、子供が小さいうちは、現地へ出張して仕事をすることが出来ないので、上司が別の実験(BelleII実験計画)の仕事に変更して下さいました。

加速器実験に役立つ最新技術の研究にも取り組む

東京大学には育児室があったので、予防接種などで保育園に預けられない時に子連れ出勤ができて本当に助かりました。育休から復帰した後は、KEKでのBelleII実験計画に参画し、実験設備(加速器・測定器境界領域)を開発するグループを立ち上げました。2008年頃からは毎週KEKへ出張するようになり、子供の保育園への送迎は夫がしてくれました。2010年にKEKの准教授として着任しましたが、2012年に夫が兵庫県にある研究機関に所属することになり単身赴任に。私が子供の送迎を行うようになりました。加速器・測定器境界領域に設置するための超電導磁石の開発を行っていましたが、超電導の開発は、予定通りの時間に終われない事があります。そのため、ネットワークを使えば自宅から仕事ができる、加速器制御の仕事に変更しました。また、家族で一緒に暮らすため私も関西で研究ができるところを探し、2016年に大阪市立大学に着任しました。現在はBelleⅡ測定器の建設がほぼ完了して、これから実験を行っていきます。一方で、加速器実験への深層学習の適用研究を、大阪大学RCNPプロジェクトとして立ち上げました。素粒子原子核物理と情報科学の研究者が協働し、物理実験によるビッグデータの解析に、情報の最先端技術を使う研究です。加速器実験は計画してから実験を行うまでに10~20年かかる長いスパンの研究なので、計画した段階ですでに確立した技術は、実験が始まる頃には古い技術になることがよくあるので、最先端技術に取り組まないと遅れてしまいます。米国時代の上司から「たとえ非常に挑戦的な技術であっても、論理的な考えに従ってアプローチを行えば実現可能になる」とよく言われました。これからもアンテナを張り、最新技術を取り入れながら研究を続けたいと思います。

3,ダイバーシティへの取り組み
子育て中の研究者が働きやすい環境を整えたい

米国では研究者の子育て中の環境整備が進んでおり、家庭でもある程度は仕事ができますし、託児所やベビーシッターなどが充実していました。米国での女性研究者は最大限の努力をしたうえで、さらに結婚・出産も行っていると感じました。私が帰国して東京大学に着任した際に、男女共同参画の委員を担当したので、育児室を提案したところ、たくさんの先生方が賛同してくださいました。出産経験のある先生がベビーサークルや授乳スペースの配置、電子レンジの設置など、育児室をデザインして運用してくださいました。とても使いやすい空間で、私も出産後に活用させてもらいました。KEKに移ってからも育児室の良さを伝えたところ導入され、男性の研究者も子連れ出勤するなど、子育て中の多くの研究者が利用しました。私も夫も実家が遠く、子育てを家族に頼ることができなかったので、夫婦で育児ができる環境整備の大切さを実感。子育て中の研究者が働きやすい環境を整えるためには、自分たちから発信・提案することが大切だと思いました。

4,女性研究者へメッセージ
ライフイベントでは柔軟性をもって研究に取り組んでほしい

私が大学生の頃は、物理学へ進学する女子学生は数パーセント程度で、非常に稀な存在でした。この状況だと、例えば、鉛を運ぶようなハードウェアの作業をしようとすると、周囲の男性研究者が手伝おうとしがちです。ですが、実験は、そのような細かな作業の積み重ねも大切です。全ての作業を男性に手伝ってもらうと、女性研究者は傍観者になってしまいます。かといって、自分でやりたいと主張すると、男性研究者からの親切な申し出を断ることになります。このように、肩肘を張らないといけない場合があるかもしれません。ですが、米国では女性研究者が3割いたので、女性であるために何か特別な扱いを受けていると感じたことはありませんでした。日本でもさらに女性研究者が増えることで、自分らしく、より自然に研究できるようになるのではと思います。

また、女性が研究を続けていくには、ライフイベントで予想外のことが起こるので柔軟性が大切です。私の場合も出産や夫が単身赴任になった場合など、さまざまなきっかけで仕事の内容が変わりました。「これしかない」と決めずに、状況に応じて柔軟に違う研究をしてみると新たな楽しさを発見したり、思わぬところで結びつくことがあります。望む、望まないはあるかもしれませんが、一つひとつの研究を大事に続けてほしいと思います。

 

バックナンバー

大阪市立大学
岩崎昌子准教授
大阪教育大学
岡本麻子准教授
和歌山大学
矢嶋摂子教授
積水ハウス株式会社
服部正子さん
大阪市立大学
小伊藤亜希子教授
大阪教育大学
八田幸恵准教授
和歌山大学
宮川智子教授
積水ハウス株式会社
河崎由美子さん
大阪市立大学
吉田朋子教授
大阪教育大学
成實朋子教授
和歌山大学
本庄麻美子助教
積水ハウス株式会社
小谷美樹さん