研究者として、
輝きたい
女性たちの為に。
ダイバーシティ研究環境実現
イニシアティブ(牽引型)
高等学校の国語教科や「総合的な学修の時間」のカリキュラム開発の研究で活躍されている八田先生。現在、幼いお子さんふたりの子育てと両立するため、時間のやりくりや研究テーマ、調査方法に工夫を凝らしながら研究を行われています。教育学において今のアラフォー世代の女性研究者が新しい長期的なロールモデルを作っていけるのでは、という言葉が頼もしい先生です。
もともと本を読むのが好きで、高校時代は「現代文」の教科書を読むことも好きでした。高校2年生の冬、丸山眞男の「『である』ことと『する』こと」を読んだ時に、「である」と「する」の対立軸で日本の社会を分析して考えるということに衝撃を受けました。もちろんそれまでも先生は生徒たちに考えるように導いていたと思いますが、社会を研究するとはこういうことかと腑に落ちて理解したのはそれが初めてで、いわば人生初の学問経験だったと思います。こういう文章を授業で扱うことができる高校の国語の先生は魅力的だと思ったことが、国語の教師を目指したきっかけでした。
その後、京都大学の教育学部へ進学しました。高校教師を目指す人は文学部に進学するのが一般的で、また京都大学の教育学部は主に教育学研究者の養成を行うところでしたので、私はマイナーなルートに入ってしまったことに気づいて。でも、このルートで教師になろうと思っていました。
ですが、後に指導教員になっていただく田中耕治先生が開講していた学部の授業で、学校教育の内容そのものが研究対象になっていることが興味深くて。学力や人格を育てるために何を教えるべきなのか、その内容を教えるための手段をどう開発するのか、そもそも学力とは何なのか、学力と人格の関係をどう考えるのか、子どもの学力実態からいかに教育内容の妥当性を問い返すのかなどについて考えることは、「大学で学問をしている」という実感を生みました。結果的に夢中になれる学問に出会ったのです。
ゼミは田中先生の教育方法学ゼミに入りました。もともと教師を志望していたこともあり、教師一人ひとりがカリキュラムを創り出すプロセスや、教師が創り出したカリキュラムのもとで生徒が学びを創り出すプロセスをテーマに研究を行いました。卒論を書き始めた頃には、もっと追究したいという気持ちが湧いてきました。
それに、研究室の修士課程や博士課程の先輩方がすごく楽しそうだったことにも影響を受けました。たとえば「関心・意欲・態度の評価をどうするか」をめぐって、先輩方が院生室で何時間も議論していているのを見て、私もこのコミュニティの中に入っていきたいと思うようになったのです。教育実習を受けて採用試験の準備もしていたのですが、「やっぱり研究の道へ進もう」と決意しました。
指導教員には「研究に進んでもいいけど、就職が決まるまでがとても長く、私生活も計画的に進められないよ」と心配していただいたのですが、その時は、もし就職先がなかったらしばらくゆっくりしてもいいと思っていました。女性であるためか、早く就職しないといけないとか、働いて家族を養わないといけないみたいな風には思わなかったので。一方で、女性としてのライフプランが立てにくいという点にも特に不安を抱かなかったので、単に若かったのか楽天的だったのかもしれません。現在の立場になってみると、研究の世界においても若い世代の雇用の不安定化は危機的なものがあり、安心してライフプランや研究プランを立てられる環境や条件の整備は喫緊の課題だと思います。
私の場合は非常に幸運なことに、博士後期の3年目に福井大学に採用が決まり、次年度に着任しました。福井大学には学校の職員室のようなスペースがあり、いろんな分野の先生方が集まって「これからの本学の教員養成カリキュラムをどうするか」を話し合ったり、実際にカリキュラムを開発したりと、とても活発な交流があり刺激的でした。問いの立て方や視点が違う先生方と仕事をして、視野が一気に広がったように思います。
ここでは、研究対象となる出会いもありました。福井大学に隣接する県立藤島高等学校に当時勤めていた渡邉久暢先生からの依頼で、国語の授業の参与観察を行ったのですが、生徒たちが集中して自分の課題に取り組みつつ、リラックスしながらも緊張感のある質の高いディスカッションが起こっていました。それは確実に渡邉先生の意図の元にあることはわかっているのですが、何をどう働きかけているのかが複雑でわからなくて。この先生が、1年かけてどのように国語教室を作り上げているのかを知りたい。これを名人芸で終わらせずに、言語化して構造を解き明かしたい。また研究成果を渡邉先生にフィードバックすることで、意図をよりよく自覚し、授業をさらにブラッシュアップしてほしいと考え、協働的な授業研究を始めました。5年ほど協働研究を行い、『教室による読みのカリキュラム設計』にまとめました。大阪教育大学へ赴任した現在も、渡邉先生とは協働関係が続いています。その後、研究対象は教師個人から学校単位に、また教科から「総合的な学習の時間」などにも広がっています。
福井大学に勤務して3年目の頃に結婚したのですが、夫は当時福岡勤務だったので遠距離で別居婚。その翌年に夫が大阪に転勤になり、同居できる道を模索しました。そんな時に大阪教育大学の公募に応募し、准教授として採用が決まりました。ですがその直後に妊娠が判り、4月に着任してそのまま産休に入ることになって。本来なら4月からフルで働く事を期待されているし、いろんな先生にご迷惑をお掛けすることになり、ものすごく申し訳ない気持ちでした。
教育大学や教育学部は、教員免許状の関係もあって、全く同じ分野の教員が複数名いることはまずないです。それはつまり、休業中の教員の仕事を残ったメンバーでカバーすることが難しいということです。ですから、それまでのネットワークで信頼できる方に非常勤の講師を依頼しました。8月というかなり早い時期に私が復帰し、同時に夫が育休を半年間取得して交代しました。翌年の4月から子どもは保育園に入園しましたが、保育園に通い出すと急な体調不良でお迎えに行かないといけないことも増えてしまって。夫は半年間の育休復帰後でしたから、夫の育児負担をこれ以上増やしてはいけない、私が迎えに行かなければと勝手にプレッシャーに感じ、メンタルはすごくしんどかったですね。3年後に2人目を出産した時は産休・育休を1年間取得でき、気持ちも切り替わって、家事・育児の分担もうまくいくようになりました。
子育て中の研究は、学校現場に通うことや海外に行くことはしばらく難しいので、今までの問題意識の延長線で、文献や資料を調査する方法で新しい知見を導き出せるテーマに工夫しました。授業の時間割はある程度自分で組めるので、午前中に授業を入れて夕方の保育園のお迎えに間に合うようにしています。子どもと一緒に夜は21時に就寝し、3時~4時頃に起きて論文を読み、6時には朝食や準備をして保育園に送って出勤します。時間のやりくりをしても、授業や学生指導と研究活動をなんとかこなすのに精一杯で、学内の運営業務や学外での社会貢献活動は、現在でも十分にはできていないように思います。
今、私のようにアラフォー世代の女性研究者の共通する悩みは、学会や研究会に行けないことです。教育学系の学会は必ず土日に全国各地で行われますが、子どもが幼いのに遠方の学会へはなかなか行けません。他分野では保育付きの学会があるらしいので、教育学でも保育付きの学会や子ども連れでも学会発表ができるようになるといいのではと思っています。
さらに数年後にはもっと若手研究者の数が増えますし、「子育て中も活躍したい」と思う研究者がいる一方で、「仕事をセーブしてゆっくり子育てしたい」と思う研究者が、男女問わず増えていくのではないかと思います。産休代理の非常勤講師の予算を措置したり、外部資金獲得の条件を見直したりなど、産休・育休を取得しやすい制度に整えて欲しいという声は大きくなるのではと思います。
私が大学院生の頃、研究室の代表として学会で発表したことがあるのですが、その時来られていた60代の女性研究者の方が「女性が研究室代表として発表できる時代になったのか」と感極まっておられました。その方は、女性蔑視や偏見が強かった時代に女性研究者の道を拓いてこられたのだと思います。その時、私は女性だから研究室代表になれないなどと考えたこともなく、それはこうした先輩方が研究者として立派にやってこられたおかげなのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
現在、教育学において50代以上の女性研究者の方はとても少なく、私自身の長期的なロールモデルとして考えられる方が見当たらない状態です。ですので、今のアラフォー世代の女性研究者がロールモデルを作っていけるのではと思っています。
もちろん、それにとらわれずに自分の道を見つけてもらえたらと思いますが、研究に邁進された先輩方のおかげで、今私たちはイキイキと研究ができる時代がきたのだと、希望をもっていただければと思います。